気配りの中のエゴ

気づかい・気配り・思いやりという名のもとに自分のエゴや気持ちを押し付けていることってありませんか?
相手の事を思ってやったとしても相手がどう受取るかはその人次第その人の自由です。

親の子供に対する愛情は無償の愛なので、子供達に気づかいと思ってやっていたことも、子供達は知らないことが多かっただろうし、知ったところでどうというのもないと思えるかもしれません。

しかし、他人に対する気づかい・気配り・思いやりには、
『あなた』のために…
『あなた』が喜ぶだろうから…
『あなた』が助かるだろうから…
『あなた』が上手くいくだろうから…
などという『あなた』主体の気持が含まれていたりしませんか?

『私が』あなたのために~したい…
『私が』あなたを喜ばせたい…
など
『私が』という主体での気づかい・気配り・思いやりであれば、相手がそれに気付こうが気づくまいが、感謝しようがしまいが、相手の反応がどうであろうと関係なくなります。
もちろん喜んでもらえたら嬉しいけれど…

気づかい・気配り・思いやりは、裏にある自分の気持ちが大切です。
気づかい・気配り・思いやりは、『あなた』主体で見返りを求めるとエゴを押し付けてしまいます。
私がしたいから~という『私』主体での思いですることです。すると無償の愛になります。
結果は後からついてきますから^ ^


『「何かしてあげる」と自分勝手な愛情を押し付けるのは自分がかわいいだけ。本当の愛は見返りを求めない無償の愛』

~美輪明宏~



~釧路より愛と光を~
St.Johns

archanglestyle@gmail.com


スポンサーサイト


コメント
コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
http://stjohns.blog116.fc2.com/tb.php/332-7c74499f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)